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南海沿線のまち

橋本

橋本

高野登山鉄道当時の大正4年(1915)3月に開業しました。 その17年前、明治31年(1898)4月に紀和鉄道(現・JR和歌山線)が橋本~五条間に鉄道を敷設していたことから、現在も当社とJR西日本の共同使用駅となっています。 高野街道と大和街道が交わるまち、今も昔も人やものの交流が盛んな土地です。 万葉集にもこの地の歌が残されています。

美加の台

美加の台

高野線複線化工事の一環として建設が進められ、昭和59年(1984)9月、大規模住宅地「南海美加の台」の玄関口として開業しました。 1階がプラットホーム、2階が駅務室およびコンコースとなり、屋上に駅の出入り口を設け、乗降客は屋上から出入りするというユニークな設計となっています。 駅東側一帯の丘陵地に当社が開発を進めた「南海美加の台」は同年9月に分譲開始。歴史・自然風土を考慮し、豊富な緑と十分な都市施設を備えた居住性の高い街づくりによって河内長野市内で高い評価を得ています。

二色浜

二色浜

昭和8年(1933)、南海鉄道は“第二の浜寺”をめざして二色の浜海岸に「海浜村」を開設しました。 200人収容の「汀の家」を建て、宿泊施設のある海水浴場として人気を呼びました。 その最寄り駅として昭和11年(1936)6月、夏期だけ営業の臨時駅を開設。2年後の昭和13年(1938)9月に常設駅となりました。駅名の「二色」は“白砂青松”の浜辺を表したもの。 駅から二色の浜海水浴場へ行く途中、左手にある「八品神社」は、平安時代に製造が開始されたといわれる貝塚の特産品・近木櫛(和泉櫛)の櫛工たちが、守り神として創建したものといわれています。

和泉中央

和泉中央

和泉市に位置する和泉中央駅は、平成7年(1995)4月1日開業。和泉市の中心市街地として発展しており、商業施設や公共施設、住宅などが集まっています。 和泉中央駅は、「鉄道の日」記念行事の一つとして実施された「第3回近畿の駅百選」にも認定されました。

箱作

箱作

明治31年(1898)10月に開業しました。 駅名の由来となった「箱作」の地名は諸説あり京都・賀茂神社改修の際に流した御霊箱がこの地の海岸にたどり着いたという「箱着里」が語源といわれています。 東側駅前の旧道を和歌山市方面へ500mほど進むと「加茂神社」があります。この地が上賀茂神社の荘園であった当時に創建されたと伝えられ、安土桃山時代に建てられた桧皮葺の本殿は、燈籠とともに大阪府の有形文化財に指定されています。府営公園「せんなん里海公園」に隣接する箱作海水浴場(ぴちぴちビーチ)の最寄り駅です。

尾崎

尾崎

南海鉄道が佐野(現:泉佐野)駅~尾崎駅間を開通した明治30年(1897)11月に開業しました。 当時の地名・尾崎村は、男里川の左岸に位置することから“男里の崎”であることに由来しています。 阪堺鉄道の線路改築工事を経て、同年12月から難波駅~尾崎駅間の直通運転を開始。昭和48年(1973)8月に橋上駅舎となりました。 寛永15年(1638)建立の本殿が国の重要文化財に指定されている「波太神社」秋祭りでは阪南市内各地区のやぐらが集まり、本殿前の階段を駆け上がる豪快な宮入りが見所となっています。駅前からぜひバスをご利用ください。

天下茶屋

天下茶屋

明治18年(1885)12月に開業しました。 その昔、豊臣秀吉が堺や住吉大社へ行き来する途中、この地に立ち寄って茶の湯を楽しんだことから「殿下茶屋(天下茶屋)」と呼ばれるようになったと伝えられています。 阪堺線天神ノ森駅の西側に「天下茶屋跡」があります。かつては 難波を出て最初の停車場が当駅でした。 明治33年(1900)10月には天王寺支線が開通して起点となりましたが、Osaka Metro堺筋線の延伸区間が開通した翌月、平成5年(1993)4月に同支線を廃止しました。

津守

津守

大正2年(1913)2月開業の津守駅。 駅名にもなっている地名「津守」は、元禄期に2人の町人が木津川の寄州を幕府から買い取って開発した耕地「津守新田」が由来とされ、駅から約800メートル南にある津守小学校の校庭には、新田内の行政事務や年貢の取り締まりなどを行なっていた「津守新田会所跡」の石碑があります。 同校西側にある「津守神社」は津守新田が開発された頃に創設され、当初は五所神社や五社大明神、後には稲荷神社と呼ばれましたが、明治4年(1871)に津守神社と改称しました。 駅から少し歩いた先にある木津川には、今も橋の代わりに渡船が行きかい、市民の足となっています。

和泉大宮

和泉大宮

昭和12年(1937)4月に開業しました。「和泉大宮」の駅名は、北東約600mに位置する「兵主(ひょうず)神社」が「大宮」と呼ばれることに由来しています。 兵主神社は、桃山時代に建設された三間社・流造・桧皮葺の本殿が国の重要文化財に指定されており、社宝として伝えられている室町から江戸前期の能面9面は、雨乞いの際に演じられた能に用いられたため「雨降りの面」と呼ばれています。 駅の北西約1.2kmに位置する「岸和田漁港」は、昭和41年(1966)に完成したもの。あぐり網(イワシきんちゃく網)漁業を中心に、大阪府下でトップクラスの水揚量を誇ります。

七道

七道

大正6年(1917)4月に開業しました。駅名の由来は「七道」という地名から。 七道駅前ロータリーには堺市指定有形文化財に指定される石碑「放鳥銃定限記碑」や、北旅籠町出身の河口慧海(1866~1945)の銅像が設置されています。 駅から東へ5分ほど歩くと「町家歴史館 清学院」(国登録有形文化財)と、令和6年3月に開館した「鉄炮鍛冶屋敷(町家歴史館 井上関右衛門家住宅)」(堺市指定有形文化財)があります。 駅の東側にある「高須神社」は、徳川家康に大量の鉄砲を納めた鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門が、その功績からこの地を授けられ、鉄砲の繁栄を願って元和5年(1619)に建立したといわれています。

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