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二里ヶ浜

二里ヶ浜

現在の加太線である加太軽便鉄道が開通した明治45年(1912)6月に開業した二里ヶ浜駅。 駅名の由来は海浜名。この海岸はかつて紀の川河口から磯の浦まで、文字通り「2里」(約8㎞)の浜であったと伝えられています。 駅から北西約500メートルにある「射箭頭八幡神社(いやとはちまんじんしゃ)」は、應神天皇、神功皇后、日本武尊を祭神とし、慶長年間に現在の地へ移し建てられました。神功皇后がご懐妊されていたことから安産の神とも言われています。 駅下がりにはしらす漁がさかんな「西脇漁港」があり、防波堤では、休日の早朝などに釣り客の姿も見かけられます。

孝子

孝子

大正4年(1915)4月に開業した大阪府下最南端の駅。大阪府と和歌山県境の孝子峠を「第1孝子トンネル」が貫きます。 駅から約1.5キロほど離れた場所に2つの石碑があり、橘逸勢(たちばなはやなり)とその娘の墓と伝えられています。 平安初期の能書家である逸勢は“天下の三筆”と呼ばれました。 駅の南側、孝子2号踏切を渡ってすぐ左の道は飯盛山(標高385メートル)への登山コース。途中で左手に入って石段を登ると“孝子観音”と呼ばれる「高仙寺」があります。

高師浜

高師浜

羽衣~伽羅橋間開通の翌年、大正8年(1919)10月に開業しました。 高級住宅地として開発された周辺の街並みにあわせて、ステンドグラスを配した西洋風デザインの駅舎が建てられました。 西へ徒歩すぐの「大阪府立臨海スポーツセンター(りんスポ)」には、年中滑走可能なアイススケート場など様々なスポーツ施設が完備されています。 北東に位置する「高石神社」の社殿は寛永12年(1635)に再建されました。

上古沢

上古沢

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下駅~神谷(現・紀伊神谷)駅間の開通と同時に開業しました。 駅の西側から不動谷川を渡ってさらに進むと「高野山町石道(世界遺産)」へと通じています。ハイキングコースとして九度山の「慈尊院(世界遺産)」から町石をたどりながら「丹生都比売(にうつひめ)神社(世界遺産)」(伊都郡かつらぎ町)を訪ね、笠木峠を越えて当駅や高野山上まで踏破する方も数多くいらっしゃいます。朱塗りの太鼓橋と杉木立の緑とのコントラストが鮮やかな「丹生都比売(にうつひめ)神社」は、少なくとも1700年前の創建と伝えられています。

三日市町

三日市町

長野(現・河内長野)駅から当駅まで開通した大正3年(1914)10月に開業しました。翌年に橋本駅まで開通するまでこの地は高野詣りの宿場町でした。 駅名にもなっている「三日市」の地名は、かつて毎月3日に市が開かれたのがその名の由来といわれています。 橋上駅舎は昭和48年(1973)8月、高野線複線化工事の一環として完成。翌年3月に河内長野~三日市町間が複線化されました。 北東約3キロの延命寺は紅葉の名所として知られ、徒歩約40分で行けることからハイキングコースとしても親しまれています。

淡輪

淡輪

明治39年(1906)8月に簡易停車場として開業した淡輪駅は、明治43年(1910)に常設停車場となりました。 平成18年(2006)の工事で従来の赤い屋根からシックな黒にふき替えました。 海岸沿いには海洋訓練施設「府立青少年海洋センター」、常設ビーチバレー競技場「潮騒ビバレー」などがあります。また、海開き以降の「ときめきビーチ(淡輪海水浴場)」には多くの海水浴客でにぎわいます。

加太

加太

淡路・四国方面と本州を結ぶ連絡要港としての役割を担っていた加太から、和歌山市への連絡輸送を目的として、加太軽便鉄道が開通した明治45年(1912)6月に開業しました。 軍需物資や兵員輸送にも利用されましたが、終戦後は主に行楽地への玄関口として親しまれるようになりました。 駅から徒歩約20分の「淡嶋神社」では、毎年3月3日に「雛流し」が行われ大勢のお客さまでにぎわいます。 「加太海水浴場」も同様に、夏には多くのお客さまがいらっしゃいます。 めでたいでんしゃで行く、幸せ満ちる加太さかな線の旅はいかがでしょうか。

天下茶屋

天下茶屋

明治18年(1885)12月に開業しました。 その昔、豊臣秀吉が堺や住吉大社へ行き来する途中、この地に立ち寄って茶の湯を楽しんだことから「殿下茶屋(天下茶屋)」と呼ばれるようになったと伝えられています。 阪堺線天神ノ森駅の西側に「天下茶屋跡」があります。かつては 難波を出て最初の停車場が当駅でした。 明治33年(1900)10月には天王寺支線が開通して起点となりましたが、Osaka Metro堺筋線の延伸区間が開通した翌月、平成5年(1993)4月に同支線を廃止しました。

橋本

橋本

高野登山鉄道当時の大正4年(1915)3月に開業しました。 その17年前、明治31年(1898)4月に紀和鉄道(現・JR和歌山線)が橋本~五条間に鉄道を敷設していたことから、現在も当社とJR西日本の共同使用駅となっています。 高野街道と大和街道が交わるまち、今も昔も人やものの交流が盛んな土地です。 万葉集にもこの地の歌が残されています。

津守

津守

大正2年(1913)2月開業の津守駅。 駅名にもなっている地名「津守」は、元禄期に2人の町人が木津川の寄州を幕府から買い取って開発した耕地「津守新田」が由来とされ、駅から約800メートル南にある津守小学校の校庭には、新田内の行政事務や年貢の取り締まりなどを行なっていた「津守新田会所跡」の石碑があります。 同校西側にある「津守神社」は津守新田が開発された頃に創設され、当初は五所神社や五社大明神、後には稲荷神社と呼ばれましたが、明治4年(1871)に津守神社と改称しました。 駅から少し歩いた先にある木津川には、今も橋の代わりに渡船が行きかい、市民の足となっています。

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