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南海沿線のまち

中松江

中松江

明治45年(1912)6月、加太軽便鉄道の開設と同時に開業した中松江駅。 かつて海岸線が後退してできた細長い洲に松を植えて風や潮を防ぎ、洲と陸地の間が入り江になっていたところから「松江」の地名が付いたといわれています。 駅の北側約1.5kmに位置する「釜山古墳群」は、釜山古墳、茶臼山古墳、国内で唯一金の勾玉が発掘された車駕之古址古墳(しゃかのこしこふん)の3基が東西に並び、和歌山県の史跡に指定されています。 駅から南へすぐの「春日神社」は、かつて南東約100mにあり「南海神社」と称しましたが、津波にあったため現在地に遷座したといわれています。

西ノ庄

西ノ庄

昭和5年(1930)12月、東松江駅と同時に開業しました。 駅名にもなっている地名「西ノ庄」は、かつての木ノ本荘が東ノ荘と西ノ荘に分かれていたことが由来とされます。 17年(1942)に住友金属工業和歌山製鉄所が操業を開始して以降地域が発展し、29年(1954)に町制を施行して西脇町となり、31年(1956)9月に和歌山市に合併しました。 「河西公園」は駅から海側へ徒歩約10分。テニスコートやアーチェリー場、プールなどの運動施設にはじまり、子どもたちが遊べるアスレチックなどの遊戯施設が充実している、市民の憩いスポットです。

三日市町

三日市町

長野(現・河内長野)駅から当駅まで開通した大正3年(1914)10月に開業しました。翌年に橋本駅まで開通するまでこの地は高野詣りの宿場町でした。 駅名にもなっている「三日市」の地名は、かつて毎月3日に市が開かれたのがその名の由来といわれています。 橋上駅舎は昭和48年(1973)8月、高野線複線化工事の一環として完成。翌年3月に河内長野~三日市町間が複線化されました。 北東約3キロの延命寺は紅葉の名所として知られ、徒歩約40分で行けることからハイキングコースとしても親しまれています。

極楽橋

極楽橋

大正14年(1925)に始まった高野下駅~極楽橋駅間約10.3キロの線路延長工事は、山岳地帯のため難工事となり、昭和4年(1929)2月にようやく当駅が開業しました(ケーブルカーの開通は翌年6月)。 電車のホームとケーブルカー乗り場を結ぶ構内通路は、直下を流れる「不動谷川」に架かる橋の役割も果たしています。 駅から川沿いを下っていくと駅名の由来となった「極楽橋」があります。 昭和29年(1954)に架け替えられたこの橋を渡って「不動坂」を登り、高野山上の「女人堂」に出ることで、昔の高野詣りの風情を楽しむ方も多くいらっしゃいます。

粉浜

粉浜

大正6年(1917)4月に開業しました。 玉出~大和川間の高架化に伴って旧駅舎を撤去し、昭和54年(1979)8月に高架下2階部分に新駅舎を開設しました。 「住吉の 粉浜のしじみ開けも見ず 隠りてのみや 恋ひ渡りなむ」と万葉集に歌われたとおり、海岸線の浜辺でアサリやハマグリなどが採れ、住吉詣でのお土産としても有名でした。大正時代に発足した「粉浜商店街」は、同駅西側の粉浜小学校から住吉大社駅にかけて約120店が軒を連ねており、歴史ある商店街らしく老舗の店が多く見られます。

萩原天神

萩原天神

高野登山鉄道当時の大正元年(1912)10月に開業しました。 駅名にある萩原天神参詣の利便を図ったもので駅の西側へ100メートル行ったところにある同天神は天穂日命、菅原天神を祀っており、知恵の神様として、七五三や受験シーズンにはお参りの方でにぎわいます。 4月には赤ちゃんの健やかな成長を祈願する「泣き相撲」や10月には、秋祭りがあり遠近から多くの方が訪れます

岡田浦

岡田浦

吉見ノ里駅の開業1ヵ月後の大正4年(1915)11月に開業しました。 駅名の由来となった旧海岸「岡田浦」は、かつて四国方面への海上交通の要所であったといわれています。 現代は、大理石の人口渚「マーブルビーチ」が、りんくうタウンの海岸線に沿って広がっています。 漁業のまちで、昭和26年(1951)に第1種漁港の指定を受けた「岡田浦漁港」は、アナゴなどの魚介類が年間300t近く水揚げされており、最近では体験地引き網にも力を入れています。 駅から南東約500mの「里外神社」は“岡田の恵比須さん”とも呼ばれています。

二色浜

二色浜

昭和8年(1933)、南海鉄道は“第二の浜寺”をめざして二色の浜海岸に「海浜村」を開設しました。 200人収容の「汀の家」を建て、宿泊施設のある海水浴場として人気を呼びました。 その最寄り駅として昭和11年(1936)6月、夏期だけ営業の臨時駅を開設。2年後の昭和13年(1938)9月に常設駅となりました。駅名の「二色」は“白砂青松”の浜辺を表したもの。 駅から二色の浜海水浴場へ行く途中、左手にある「八品神社」は、平安時代に製造が開始されたといわれる貝塚の特産品・近木櫛(和泉櫛)の櫛工たちが、守り神として創建したものといわれています。

林間田園都市

林間田園都市

当社が開発を進めてきた民間最大級の住宅地開発「南海橋本林間田園都市」の玄関口として、昭和56年(1981)11月に開業しました。 掘割の路線をまたぐ橋上駅舎は、1階にプラットホーム、2階に出改札口や駅務室などの駅機能を集約。 2階コンコースから吹き抜け部分の階段を上った3階ホールには、チョコレート色をした半円筒形の巨大なボールト屋根(直径18.8メートル、長さ37.2メートル)があり、ニュータウンのシンボルとなっています。平成15年(2003)の第4回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれました。

津守

津守

大正2年(1913)2月開業の津守駅。 駅名にもなっている地名「津守」は、元禄期に2人の町人が木津川の寄州を幕府から買い取って開発した耕地「津守新田」が由来とされ、駅から約800メートル南にある津守小学校の校庭には、新田内の行政事務や年貢の取り締まりなどを行なっていた「津守新田会所跡」の石碑があります。 同校西側にある「津守神社」は津守新田が開発された頃に創設され、当初は五所神社や五社大明神、後には稲荷神社と呼ばれましたが、明治4年(1871)に津守神社と改称しました。 駅から少し歩いた先にある木津川には、今も橋の代わりに渡船が行きかい、市民の足となっています。

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