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下古沢

下古沢

大正14年(1925)3月、高野下から高野山にいたる鉄道敷設を目指して高野山電気鉄道が設立され、昭和3年(1928)6月、高野下~神谷(現・紀伊神谷)間の開通と同時に開業しました。 駅名は当時の地名である下古沢村からつけられました。 この辺りは古くから手漉き和紙「高野紙(古沢紙)」の産地として約100軒の家々が紙漉きを行っていましたが、現在はわずか1軒のみとなり、九度山町では勝利寺(最寄りは九度山駅)の境内に紙の資料館と体験室を兼ねた「紙遊苑」を開設し、先祖の伝えたこの伝統文化を後世に伝承しています。

千早口

千早口

三日市町~橋本間が開通した大正4年(1915)3月に開業しました。 駅前を下って天見川を渡り、さらに国道を越えて7分ほど歩くと「地蔵寺」があります。延命寺を創建した浄厳和尚の甥にあたる蓮体和尚が元禄4年(1691)に再建したもので、昭和45年(1970)12月に大阪府の名勝に指定されました。 また、天見川沿いの高野街道を南へ7分ほど歩くと小さなお堂「松明屋」があります。軒近くの松には「弘法大師が高野街道を歩くうちにこの地で夜が明け、地面に突き刺した松明が芽を出して大木になった」という伝説があります。

天見

浅香山

大正4年(1915)6月に開業しました。 駅名の由来は「浅香山」の地名。南北朝時代に南朝方の武将・浅香右近将監宗勝がこの地に築城したことから周辺の丘陵地を浅香山と呼ぶようになったと伝えられています。 現在の橋上駅舎は昭和49年(1974)7月に完成。 駅の東側にある「浅香山浄水場」は市の花木・ツツジの名所として知られ、約2300本のヒラドツツジが植えられている場内は「大阪みどりの百選」にも選ばれています。毎年見頃になると一般公開され、多くの人でにぎわいます。

天見

天見

三日市町~橋本間が開通した大正4年(1915)3月に開業しました。 駅の西側には河内長野市内最古の温泉と言われる天見温泉がわき、古くから温泉郷として栄えています。 この地は「南天の里」と呼ばれるほど南天の多いところであり、家の周りや石垣、畑などで数多く栽培されています。花の時期は6月から7月で、12月頃になると真っ赤な実をつけ、正月用切花や薬用として用いられます。

尾崎

尾崎

南海鉄道が佐野(現:泉佐野)駅~尾崎駅間を開通した明治30年(1897)11月に開業しました。 当時の地名・尾崎村は、男里川の左岸に位置することから“男里の崎”であることに由来しています。 阪堺鉄道の線路改築工事を経て、同年12月から難波駅~尾崎駅間の直通運転を開始。昭和48年(1973)8月に橋上駅舎となりました。 寛永15年(1638)建立の本殿が国の重要文化財に指定されている「波太神社」秋祭りでは阪南市内各地区のやぐらが集まり、本殿前の階段を駆け上がる豪快な宮入りが見所となっています。駅前からぜひバスをご利用ください。

深日町

深日町

昭和19年(1944)5月、多奈川支線の開通と同時に開業しました。 当時は南海本線の南淡輪駅(現・みさき公園駅)~孝子駅間に「深日駅」がありましたが、当駅が開業したこともあって昭和33年(1958)4月に廃止となりました。 駅から約300メートル北東に位置する「国玉神社」は、大国魂大神(おおくにたまおおかみ)と賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を祭神とする延喜式内(えんぎしきない)の古社で、樹木がうっそうとした境内には清浄さが漂っています。 駅からロータリーを越えて南側に位置する「宝樹寺」は別名「化石寺」と呼ばれ、付近の海底や地中から発見されたナウマンゾウの化石や鑑賞石などを多数展示しています。 毎年10月に行われる「深日漁港ふれあいフェスタ」は、大阪府内の漁港で開かれる催しとして最大級の規模を誇ります。

蛸地蔵

蛸地蔵

大正3年(1914)4月に開業しました。駅名の「蛸地蔵」は、駅から西へ約500メートルに位置する「天性寺」の通称。 かつて岸和田城に一揆が襲来したときに1人の大法師(地蔵尊の化身)と数千の蛸が城の危機を救ったことから、この寺に地蔵尊を安置したと伝えられており、西駅舎の天窓にはこの「蛸地蔵物語」が描かれたステンドグラスがはめ込まれています。 「岸和田だんじり会館」へは駅から徒歩で約8分。市制70周年事業の一環として平成5年(1993)に開設された土蔵風の館内では、熱狂的なだんじり祭の雰囲気を一年中味わえます。

西天下茶屋

西天下茶屋

高野登山鉄道が大阪高野鉄道と改称した約5カ月後の大正4年(1915)9月に開業しました。 駅の北東約300メートルの所にある「敷津松之宮西成社」は、敷津松之宮神社(浪速区)の御旅所で、かつて神功皇后が武内宿禰を従えて航行中に、敷津浜に3本の松を植えて航行の安全を祈願したのが起源といわれています。 同御旅所の東側を南北に通じている道が「旧勝間街道」。江戸時代に難波から木津を通って粉浜で紀州街道(住吉街道)と合流していた街道で、「勝間」の地名は、大正の頃まで西成郡勝間村(現在の玉出地区)として残っていました。 駅から少し行くと、戦前から続く「西天下茶屋商店街」に、昔懐かしいお店が軒を連ねています。

紀見峠

紀見峠

岩湧山への登山口としてハイカーの利用が多い当駅は、大正4年(1915)3月に開業しました。 駅名の由来となった「紀見峠」は駅から約1.5キロ北に位置し、高野街道の重要な通過点として、江戸時代には宿場町として賑わいました。 上り線の紀見トンネル(1,561メートル)は、高野鉄道が明治33年(1900)に堀削開始した工事を高野登山鉄道が引き継ぎ、大正3年(1914)11月にようやく完成しました。 下り線の新紀見トンネル(1,853メートル)は、昭和47年(1972)に着手した河内長野~橋本間の複線化工事に伴って昭和48年(1973)5月に堀削を開始し、昭和51年(1976)4月に使用を開始しました。

津守

津守

大正2年(1913)2月開業の津守駅。 駅名にもなっている地名「津守」は、元禄期に2人の町人が木津川の寄州を幕府から買い取って開発した耕地「津守新田」が由来とされ、駅から約800メートル南にある津守小学校の校庭には、新田内の行政事務や年貢の取り締まりなどを行なっていた「津守新田会所跡」の石碑があります。 同校西側にある「津守神社」は津守新田が開発された頃に創設され、当初は五所神社や五社大明神、後には稲荷神社と呼ばれましたが、明治4年(1871)に津守神社と改称しました。 駅から少し歩いた先にある木津川には、今も橋の代わりに渡船が行きかい、市民の足となっています。

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