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南海沿線のまち

淡輪

淡輪

明治39年(1906)8月に簡易停車場として開業した淡輪駅は、明治43年(1910)に常設停車場となりました。 平成18年(2006)の工事で従来の赤い屋根からシックな黒にふき替えました。 海岸沿いには海洋訓練施設「府立青少年海洋センター」、常設ビーチバレー競技場「潮騒ビバレー」などがあります。また、海開き以降の「ときめきビーチ(淡輪海水浴場)」には多くの海水浴客でにぎわいます。

紀伊神谷

紀伊神谷

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。 駅の東側の丘を越えたあたりは“高野山に最も近い宿場”として栄え、歓楽峡の様相を呈していたと伝えられています。 神谷は日本最後の仇討があった地としても知られ、明治4年(1871)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。太政官布告による仇討禁止令が出される2年前の出来事でした。

中松江

中松江

明治45年(1912)6月、加太軽便鉄道の開設と同時に開業した中松江駅。 かつて海岸線が後退してできた細長い洲に松を植えて風や潮を防ぎ、洲と陸地の間が入り江になっていたところから「松江」の地名が付いたといわれています。 駅の北側約1.5kmに位置する「釜山古墳群」は、釜山古墳、茶臼山古墳、国内で唯一金の勾玉が発掘された車駕之古址古墳(しゃかのこしこふん)の3基が東西に並び、和歌山県の史跡に指定されています。 駅から南へすぐの「春日神社」は、かつて南東約100mにあり「南海神社」と称しましたが、津波にあったため現在地に遷座したといわれています。

紀見峠

紀見峠

岩湧山への登山口としてハイカーの利用が多い当駅は、大正4年(1915)3月に開業しました。 駅名の由来となった「紀見峠」は駅から約1.5キロ北に位置し、高野街道の重要な通過点として、江戸時代には宿場町として賑わいました。 上り線の紀見トンネル(1,561メートル)は、高野鉄道が明治33年(1900)に堀削開始した工事を高野登山鉄道が引き継ぎ、大正3年(1914)11月にようやく完成しました。 下り線の新紀見トンネル(1,853メートル)は、昭和47年(1972)に着手した河内長野~橋本間の複線化工事に伴って昭和48年(1973)5月に堀削を開始し、昭和51年(1976)4月に使用を開始しました。

石津川

石津川

大正8年(1919)6月に開業しました。 駅名の由来となった二級河川「石津川」周辺一帯は、かつて木綿を川の水にさらしている風景が見られた綿の産地で、昭和初期まで「石津のさらし」として全国でも有名でした。 駅から徒歩約5分の「石津(いわつ)太(た)神社」は、毎年12月14日に行われる火祭「やっさいほっさい」で有名。えびす神に扮した年男を担いで“ヤッサイ、ホッサイ"の掛け声とともに火の中を勇壮に渡ります。北本殿や南本殿、拝殿、一の鳥居、二の鳥居が平成9年(1997)12月に堺市指定有形文化財に指定されています。

みさき公園

みさき公園

昭和13年(1938)7月に開業しました。もとは「南淡輪駅」として開業。 昭和19年(1944)6月に多奈川支線(当時)との連絡駅として現在位置に移設され、昭和32年(1957)1月、遊園地「みさき公園」の開業(同年4月)を前に改名されました。令和2年(2020)3月に営業終了するまで、「みさき公園」の玄関口として、行楽の家族連れでにぎわいました。現在「みさき公園」は、「岬町立みさき公園」となっています。 駅舎は平成2年(1990)に改装され、海をイメージさせるヨットのデザインを取り入れ、紺と白を基調とした外装と熱線反射ガラスの採用によって、開放的な外観となりました。平成14年(2002)の第3回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれています。

鶴原

鶴原

大正5年(1916)5月に開業しました。海が近く、かつて漁業が盛んなまちでした。 構内には昭和29年(1954)に殉職した駅掌を弔うために建立された地蔵菩薩があります。 駅から南西約300mにある「加支多神社」はかつて市杵島神社と呼ばれ、市杵島姫命を祭っていました。楠氏の臣・勝間某が敗戦の際、祭神を背負って当時の豪家・新川氏に奉祀を依頼したことが由来とされています。 ここからさらに南東の貝田交差点付近には、平安末期から鎌倉時代にかけて熊野古道沿いに創建された九十九王子の1つ「貝田王子」(別称・鶴原王子)があったといわれています。

西天下茶屋

西天下茶屋

高野登山鉄道が大阪高野鉄道と改称した約5カ月後の大正4年(1915)9月に開業しました。 駅の北東約300メートルの所にある「敷津松之宮西成社」は、敷津松之宮神社(浪速区)の御旅所で、かつて神功皇后が武内宿禰を従えて航行中に、敷津浜に3本の松を植えて航行の安全を祈願したのが起源といわれています。 同御旅所の東側を南北に通じている道が「旧勝間街道」。江戸時代に難波から木津を通って粉浜で紀州街道(住吉街道)と合流していた街道で、「勝間」の地名は、大正の頃まで西成郡勝間村(現在の玉出地区)として残っていました。 駅から少し行くと、戦前から続く「西天下茶屋商店街」に、昔懐かしいお店が軒を連ねています。

吉見ノ里

吉見ノ里

大正4年(1915)10月、田尻町吉見に開業しました。地元の田尻漁港の名物行事、日曜朝市でにぎわいます。 ここは泉州タマネギ発祥の地で、明治18年(1885)に地元の今井佐治平、大門久三郎、道浦吉平らが横浜からタマネギの種子を取り寄せ、干ばつと水害に悩む農家に奨励したことから、町内の春日神社境内に「泉州珠葱栽培之祖」碑に功績をたたえた碑文が刻まれています。 戦後、昭和48年(1973)に廃止されるまで、紡績の原料・製品の貨物輸送や紡績工場従業員の荷物受け渡しなどが盛んに行われました。

林間田園都市

林間田園都市

当社が開発を進めてきた民間最大級の住宅地開発「南海橋本林間田園都市」の玄関口として、昭和56年(1981)11月に開業しました。 掘割の路線をまたぐ橋上駅舎は、1階にプラットホーム、2階に出改札口や駅務室などの駅機能を集約。 2階コンコースから吹き抜け部分の階段を上った3階ホールには、チョコレート色をした半円筒形の巨大なボールト屋根(直径18.8メートル、長さ37.2メートル)があり、ニュータウンのシンボルとなっています。平成15年(2003)の第4回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれました。

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