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南海沿線のまち

和歌山市

和歌山市

紀ノ川橋梁(現在の上り線)が架橋された明治36年(1903)3月に開業し、平成15年(2003)で100周年を迎えました。 初代駅舎は昭和20年(1945)7月の空襲で焼失、昭和30年(1955)に2代目駅舎、昭和48年(1973)には3代目駅舎、そして、4代目駅舎となる現在の「キーノ和歌山」は令和2年(2020)6月にグランドオープン。商業施設・ホテル・オフィス・図書館等から構成される和歌山市の新しい玄関口として、地域の発展に貢献しています。 加太さかな線を走るめでたいでんしゃへの乗り換えにも便利です。

帝塚山

帝塚山

昭和9年(1934)12月に開業しました。 この地域には古くから豪族が住んでいたといわれ、明治から大正時代にかけて大阪府屈指の高級住宅地として発展しました。 東へ進み、阪堺電車・上町線を越えたあたりにある「万代池公園」は市民の憩いと散策の場となっており、万代池は墳墓の周濠であったといわれています。 駅の西側にある「帝塚山古墳」は、5,6世紀頃にこの地を支配していた大伴金村の墳墓と伝えられ、茶臼山(天王寺区)、御勝山(生野区)とともに大阪市の三大前方後円墳と呼ばれています。

春木

春木

大正3年(1914)10月に開業しました。 駅の東側には、かつて「春木競馬場」がありましたが、地元の要望もあり昭和49年(1974)に廃止となりました。その跡地に造られた「中央公園」は、テニスコート、プール、トラック競技場などのスポーツ施設が充実しています。 大阪府下唯一の競輪場である「岸和田競輪場」は昭和25年(1950)2月、全国で22番目の競輪場として開設。観客収容人員約45000人のマンモススタンドを持ちます。

なんば

明治18年(1885)12月に開業。大阪ミナミを代表するターミナル駅です。御堂筋に面する南海ビルは、昭和7年(1932)7月の竣工から長い年月が経過していますが、表面外壁をテラコッタ(装飾用の素焼陶器)で張りつめた外観は今なお偉容を誇っています。昭和55年(1980)3月に「なんばCITY」全館オープン。平成6年(1994)9月に関西国際空港が開港、平成30年(2018)に「なんばスカイオ」が開業し、大阪市から世界への玄関口として機能するなど、伝統だけでなく時代とともに変革を続けています。令和7年(2025)3月に駅前の「なんば広場」が全体完成、同年9月には2階中央改札口・コンコースのリニューアル完了。進化が止まらないなんばのまち、これからも皆さまとともに盛り上げてまいります。

尾崎

尾崎

南海鉄道が佐野(現:泉佐野)駅~尾崎駅間を開通した明治30年(1897)11月に開業しました。 当時の地名・尾崎村は、男里川の左岸に位置することから“男里の崎”であることに由来しています。 阪堺鉄道の線路改築工事を経て、同年12月から難波駅~尾崎駅間の直通運転を開始。昭和48年(1973)8月に橋上駅舎となりました。 寛永15年(1638)建立の本殿が国の重要文化財に指定されている「波太神社」秋祭りでは阪南市内各地区のやぐらが集まり、本殿前の階段を駆け上がる豪快な宮入りが見所となっています。駅前からぜひバスをご利用ください。

芦原町

芦原町

高野鉄道が開業した12年後の大正元年(1912)11月に開業しました。駅名は当時の所在地名「難波芦原町」が由来とされています。 芦原町駅近くには、南海電鉄で一番幅の広い踏切があります。 駅から約500m北西にある「大浪橋」は昭和12年(1937)に完成。大きな帆船が頻繁に通るため橋脚がなく、木津川をまたぐように架けられています(橋長81.5m)。

松ノ浜

松ノ浜

大正3年(1914)12月に開業しました。当時の駅名は「助松」で、昭和35年(1960)12月に「松ノ浜」と改称しました。 駅の南東約1.2kmにある「曽禰神社」は、泉大津市内で最古の神社と伝えられています。 同神社が位置する曽根町から、和泉市池上町にかけて広がる弥生時代の大集落遺跡「池上曽根遺跡」は、昭和51年(1976)に国の史跡に指定されました。池上遺跡史跡公園内には「池上曽根弥生情報館」「池上曽根弥生学習館」があり、隣接する「大阪府立弥生文化博物館」では弥生文化に関する資料と情報を収集・保存・研究・展示しています。

橋本

橋本

高野登山鉄道当時の大正4年(1915)3月に開業しました。 その17年前、明治31年(1898)4月に紀和鉄道(現・JR和歌山線)が橋本~五条間に鉄道を敷設していたことから、現在も当社とJR西日本の共同使用駅となっています。 高野街道と大和街道が交わるまち、今も昔も人やものの交流が盛んな土地です。 万葉集にもこの地の歌が残されています。

美加の台

美加の台

高野線複線化工事の一環として建設が進められ、昭和59年(1984)9月、大規模住宅地「南海美加の台」の玄関口として開業しました。 1階がプラットホーム、2階が駅務室およびコンコースとなり、屋上に駅の出入り口を設け、乗降客は屋上から出入りするというユニークな設計となっています。 駅東側一帯の丘陵地に当社が開発を進めた「南海美加の台」は同年9月に分譲開始。歴史・自然風土を考慮し、豊富な緑と十分な都市施設を備えた居住性の高い街づくりによって河内長野市内で高い評価を得ています。

紀伊神谷

紀伊神谷

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。 駅の東側の丘を越えたあたりは“高野山に最も近い宿場”として栄え、歓楽峡の様相を呈していたと伝えられています。 神谷は日本最後の仇討があった地としても知られ、明治4年(1871)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。太政官布告による仇討禁止令が出される2年前の出来事でした。

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