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南海沿線のまち

湊

南海鉄道当時の明治40年(1907)10月に開業しました。 所在地である出島町が、古くから「湊村」と呼ばれていたことが駅名の由来といわれています。江戸時代には「湊紙」と「壺塩」の産地で知られました。 駅の付近には、かつて田畑に利用していた井戸から水をくみ上げるための風車が林立していました。都心に近いこともあり、昭和30年代から住宅地が増え始め、現在では見られなくなってしまいました。

初芝

初芝

明治31年(1898)3月に「西村駅」として開業しました。 昭和9年(1934)、南海鉄道が住宅経営を企画し、その経営地として西村駅前の土地4万2千坪が決まりました。 新住宅地を大々的に売り出すためには、PRとイメージチェンジが必要であることから、新しい駅名を社内募集し「初芝」が選ばれました。 翌年、上下ホームを結ぶ地下道も新設され、住宅地の売り出しと同時に初芝駅として再スタートしました。

淡輪

淡輪

明治39年(1906)8月に簡易停車場として開業した淡輪駅は、明治43年(1910)に常設停車場となりました。 平成18年(2006)の工事で従来の赤い屋根からシックな黒にふき替えました。 海岸沿いには海洋訓練施設「府立青少年海洋センター」、常設ビーチバレー競技場「潮騒ビバレー」などがあります。また、海開き以降の「ときめきビーチ(淡輪海水浴場)」には多くの海水浴客でにぎわいます。

汐見橋

汐見橋

高野鉄道当時の明治33年(1900)8月に汐見橋~堺東間が開通し、翌月に営業を開始しました。 当初の駅名は「道頓堀駅」でしたが、駅の北側、西道頓堀川に架かっている橋の名にちなんで現在の駅名となり、大正14年(1925)3月に高野線と南海本線の連絡線ができるまで、高野山方面(高野下まで)への直通運転はすべて同駅を発着していました。 その後、大阪市内の交通事情の変化などに伴って、岸里玉出駅までの折り返し運転のみとなりました。 駅周辺の神社仏閣では、豊受皇大神ほか三神が祀られている「赤手拭稲荷神社」が有名です。上方落語「ぞろぞろ」の舞台として知られています。

泉佐野

泉佐野

南海鉄道が堺~佐野(現・泉佐野)間を開通した明治30年(1897)10月に開業しました。 昭和40年(1965)10月に当社で唯一の地下駅舎に改造。南海本線(泉佐野市)連続立体交差事業によって、平成14年(2002)5月に上りホーム、平成17年(2005)11月に下りホームを高架化にしました。 美しい渓谷が“大阪みどりの百選”に選定されている「犬鳴山」へは駅前からバスに乗車。 通称・犬鳴山不動尊と呼ばれる「七宝瀧寺」や、関西国際空港から最も近い温泉とされる「犬鳴山温泉」などがあります。

栂・美木多

栂・美木多

昭和48年(1973)12月7日に開業したこの駅は、泉北ニュータウンの栂地区にあります。 周辺は閑静な住宅街となっており、駅名は周辺の地名である「栂」と「美木多」から取られており、南海駅名で唯一中黒(・)が入っているのが特徴です。

堺東

堺東

駅の西側正面に商店街、斜め向かいに市役所や裁判所など官庁街が隣接する堺市の東の玄関口です。 高野鉄道当時の明治31年(1898)1月に開業し、駅舎の1~2階部分を含む南海堺東ビルは昭和39年(1964)10月に竣工しました。 駅前にはバスターミナルが整備され、現在も同市の交通の要としての役割を担っています。

新今宮

新今宮(#まいど通天閣)

昭和30年代から、沿線郊外の住宅化が急激に進み、通勤旅客が増加したことで難波駅が飽和状態に。そこで国鉄大阪環状線(当時)との連絡によって難波駅の混雑緩和を図るため、昭和41年(1966)12月に当駅は開業しました。 当駅を降りるとそこは、ディープな魅力満載の新世界のまち。 駅の北東にそびえる「通天閣」は、昭和31年(1956)に再建された2代目。初代は明治45年(1912)に建設され、戦時中の昭和18年(1943)に軍需用の鉄材として解体されています。

蛸地蔵

蛸地蔵

大正3年(1914)4月に開業しました。駅名の「蛸地蔵」は、駅から西へ約500メートルに位置する「天性寺」の通称。 かつて岸和田城に一揆が襲来したときに1人の大法師(地蔵尊の化身)と数千の蛸が城の危機を救ったことから、この寺に地蔵尊を安置したと伝えられており、西駅舎の天窓にはこの「蛸地蔵物語」が描かれたステンドグラスがはめ込まれています。 「岸和田だんじり会館」へは駅から徒歩で約8分。市制70周年事業の一環として平成5年(1993)に開設された土蔵風の館内では、熱狂的なだんじり祭の雰囲気を一年中味わえます。

金剛

金剛

昭和12年(1937)に南海沿線で四国88箇所霊場の出開帳(寺院の本尊を出張開帳すること)が催されることとなり、現在の公団金剛団地(駅の西側)が高野線の会場に選ばれたことから、参拝客の便を図って同年4月に当駅を新設しました。 平成14年(2002)から平成16年(2004)3月にかけて駅のバリアフリー化が進められました。 駅の西側には「狭山神社」があり、周囲の森が大阪府の「みどりの百選」に選ばれています。

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