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岸里玉出

岸里玉出

萩ノ茶屋~玉出間の高架化に伴い、平成5年(1993)4月、岸ノ里駅と玉出駅を移設統合し、駅名が「岸里玉出」となりました。 岸ノ里駅は大正2年(1913)7月、玉出駅は明治40年(1907)10月に開業しています。 駅の南西約600メートルには「生根神社」があり、7月24日・25日の夏祭りに出される「だいがく」(高さ約20メートルの柱に79個の提灯をつけた山笠)が、民俗資料として府の有形文化財に指定されています。

帝塚山

帝塚山

昭和9年(1934)12月に開業しました。 この地域には古くから豪族が住んでいたといわれ、明治から大正時代にかけて大阪府屈指の高級住宅地として発展しました。 東へ進み、阪堺電車・上町線を越えたあたりにある「万代池公園」は市民の憩いと散策の場となっており、万代池は墳墓の周濠であったといわれています。 駅の西側にある「帝塚山古墳」は、5,6世紀頃にこの地を支配していた大伴金村の墳墓と伝えられ、茶臼山(天王寺区)、御勝山(生野区)とともに大阪市の三大前方後円墳と呼ばれています。

忠岡

忠岡

大正14年(1925)7月に開業しました。駅名は地名から。 源平の時代に源氏方の今井五郎兼滋がこの地へ攻めてきた際、忠度の子・忠行が父を紀州方面へ逃し、今井勢をくい止め戦死しました。哀れんだ村人たちが手厚く葬り、丘を築いて「忠行の丘」と呼んだのが地名の由来といわれています。 駅から徒歩約5分の「永福寺」には、境内にビャクシン(ヒノキの仲間)があり、大阪府の天然記念物に指定されています。 東洋美術品を公開している「正木美術館」へは徒歩約15分。収蔵品は国宝3点、重要文化財12点を含め約1,200点を数え、東洋古美術の多彩な分野に及びます。

二里ヶ浜

二里ヶ浜

現在の加太線である加太軽便鉄道が開通した明治45年(1912)6月に開業した二里ヶ浜駅。 駅名の由来は海浜名。この海岸はかつて紀の川河口から磯の浦まで、文字通り「2里」(約8㎞)の浜であったと伝えられています。 駅から北西約500メートルにある「射箭頭八幡神社(いやとはちまんじんしゃ)」は、應神天皇、神功皇后、日本武尊を祭神とし、慶長年間に現在の地へ移し建てられました。神功皇后がご懐妊されていたことから安産の神とも言われています。 駅下がりにはしらす漁がさかんな「西脇漁港」があり、防波堤では、休日の早朝などに釣り客の姿も見かけられます。

三国ヶ丘

三国ヶ丘

昭和15年(1940)12月、南海鉄道と阪和電気鉄道が合併し、阪和電鉄は南海山手線(現・JR阪和線)となりました。その2年後、同線と高野線の連絡駅として当駅が開業しました。 駅の西側に位置する「仁徳陵古墳」は国内最大の前方後円墳。世墳丘の全長が約486メートル、前方部の幅が約305メートルあり、エジプト・クフ王のピラミッドと、中国・秦の始皇帝陵とともに世界三大陵墓と呼ばれています。 令和元年(2019)には「百舌鳥・古市古墳群」の一部として世界遺産にも登録されています。同古墳の南側には「大仙公園」が広がり、園内には平和の塔をはじめ、都市緑化センターや日本庭園、堺市博物館など様々な施設があります。

光明池

光明池

昭和52年(1977)8月20日に開業したこの駅は、泉北ニュータウンの南端に位置しています。 駅周辺には、商業施設や医療機関などが集まっており、光明池運転免許試験場への最寄り駅としても知られています。 駅名の由来となっている「光明池」は、関西でも屈指の貯水量を誇るため池。緑豊かな景観が素晴らしく、光明池緑地として「大阪緑の百選」にも選ばれています。

みさき公園

みさき公園

昭和13年(1938)7月に開業しました。もとは「南淡輪駅」として開業。 昭和19年(1944)6月に多奈川支線(当時)との連絡駅として現在位置に移設され、昭和32年(1957)1月、遊園地「みさき公園」の開業(同年4月)を前に改名されました。令和2年(2020)3月に営業終了するまで、「みさき公園」の玄関口として、行楽の家族連れでにぎわいました。現在「みさき公園」は、「岬町立みさき公園」となっています。 駅舎は平成2年(1990)に改装され、海をイメージさせるヨットのデザインを取り入れ、紺と白を基調とした外装と熱線反射ガラスの採用によって、開放的な外観となりました。平成14年(2002)の第3回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれています。

極楽橋

極楽橋

大正14年(1925)に始まった高野下駅~極楽橋駅間約10.3キロの線路延長工事は、山岳地帯のため難工事となり、昭和4年(1929)2月にようやく当駅が開業しました(ケーブルカーの開通は翌年6月)。 電車のホームとケーブルカー乗り場を結ぶ構内通路は、直下を流れる「不動谷川」に架かる橋の役割も果たしています。 駅から川沿いを下っていくと駅名の由来となった「極楽橋」があります。 昭和29年(1954)に架け替えられたこの橋を渡って「不動坂」を登り、高野山上の「女人堂」に出ることで、昔の高野詣りの風情を楽しむ方も多くいらっしゃいます。

北野田

北野田

高野登山鉄道当時の大正3年(1914)8月に開業しました。 現在の橋上駅舎は昭和45年(1970)5月に完成しました。 駅を西へ進むと、昭和初期に高級住宅地として開発された「大美野住宅地」があり、ロータリーを中心に放射状に広がる街区が「堺市景観賞」(まち部門)に選ばれています。駅から約300メートル高野山方面の線路脇に「野田城址」の標柱が建てられており、かつてこの辺りに楠木正成の部将・野田正勝が築いた野田城があったことを示しています。 駅から約1.5キロ東に位置する「菅生神社」の境内には、菅原道真公が生誕したといわれる伝承地があります。

紀伊清水

紀伊清水

南海鉄道が大阪高野鉄道と高野大師鉄道を合併した約3年後の大正14年(1925)3月に開業しました。 駅北側の「清水の街並み」は、平成9年(1997)に和歌山県ふるさと建築景観賞を受賞。重厚な瓦屋根や格子を持つ家屋が高野街道に沿って東西に軒を連ねており、高野山領最初の宿場町としての面影を今も残しています。 また、紀州へら竿の産地としても知られています。 駅から約500メートル東にある「三軒茶屋の大常夜燈籠」は、江戸時代に東家(紀州藩領)と三軒茶屋(高野山領)を結ぶ渡し場の位置を示すものとして、宝暦2年(1752)に造られました。

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