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南海沿線のまち

高野山

高野山

四季を通じて全国各地から参拝客が訪れる世界遺産“高野山"の玄関口。 高野山電気鉄道当時の昭和5年(1930)6月に開業し、高野山開創1150年祭を翌年にひかえた昭和39年(1964)12月、輸送力増強のためケーブルカーの2両連結運転を開始しました。 プラットホームはコンクリート製の階段になっており、駅の地下室に据えられた出力400キロワットの巻上機2台でケーブルカーを上下に動かしています(運転速度は秒速3メートル)。標高867メートルに位置し、駅前と山内各所をバスで結ぶ、当社の代表的な観光駅です。

新今宮

新今宮(#まいど通天閣)

昭和30年代から、沿線郊外の住宅化が急激に進み、通勤旅客が増加したことで難波駅が飽和状態に。そこで国鉄大阪環状線(当時)との連絡によって難波駅の混雑緩和を図るため、昭和41年(1966)12月に当駅は開業しました。 当駅を降りるとそこは、ディープな魅力満載の新世界のまち。 駅の北東にそびえる「通天閣」は、昭和31年(1956)に再建された2代目。初代は明治45年(1912)に建設され、戦時中の昭和18年(1943)に軍需用の鉄材として解体されています。

九度山

九度山

南海鉄道が大阪高野鉄道と高野大師鉄道を同時に合併した2年後、大正13年(1924)12月に開業しました。 駅から徒歩約10分の「真田庵」(正式には善名称院)は、戦国武将の真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡として県の史跡に指定されており、毎年5月にこの辺一帯で「真田祭」が開催されます。「真田庵」からさらに徒歩約20分の「慈尊院(世界遺産)」は、弘法大師・空海の高野山開創に際して山麓の寺務所として建立されました。 慈尊院から「丹生官省符神社(世界遺産)」へ通じる石段の中間に町石があり、ここから高野山に至る約20キロの「町石道(世界遺産)」はかつて表参道として利用されました。

三国ヶ丘

三国ヶ丘

昭和15年(1940)12月、南海鉄道と阪和電気鉄道が合併し、阪和電鉄は南海山手線(現・JR阪和線)となりました。その2年後、同線と高野線の連絡駅として当駅が開業しました。 駅の西側に位置する「仁徳陵古墳」は国内最大の前方後円墳。世墳丘の全長が約486メートル、前方部の幅が約305メートルあり、エジプト・クフ王のピラミッドと、中国・秦の始皇帝陵とともに世界三大陵墓と呼ばれています。 令和元年(2019)には「百舌鳥・古市古墳群」の一部として世界遺産にも登録されています。同古墳の南側には「大仙公園」が広がり、園内には平和の塔をはじめ、都市緑化センターや日本庭園、堺市博物館など様々な施設があります。

紀見峠

紀見峠

岩湧山への登山口としてハイカーの利用が多い当駅は、大正4年(1915)3月に開業しました。 駅名の由来となった「紀見峠」は駅から約1.5キロ北に位置し、高野街道の重要な通過点として、江戸時代には宿場町として賑わいました。 上り線の紀見トンネル(1,561メートル)は、高野鉄道が明治33年(1900)に堀削開始した工事を高野登山鉄道が引き継ぎ、大正3年(1914)11月にようやく完成しました。 下り線の新紀見トンネル(1,853メートル)は、昭和47年(1972)に着手した河内長野~橋本間の複線化工事に伴って昭和48年(1973)5月に堀削を開始し、昭和51年(1976)4月に使用を開始しました。

七道

七道

大正6年(1917)4月に開業しました。駅名の由来は「七道」という地名から。 七道駅前ロータリーには堺市指定有形文化財に指定される石碑「放鳥銃定限記碑」や、北旅籠町出身の河口慧海(1866~1945)の銅像が設置されています。 駅から東へ5分ほど歩くと「町家歴史館 清学院」(国登録有形文化財)と、令和6年3月に開館した「鉄炮鍛冶屋敷(町家歴史館 井上関右衛門家住宅)」(堺市指定有形文化財)があります。 駅の東側にある「高須神社」は、徳川家康に大量の鉄砲を納めた鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門が、その功績からこの地を授けられ、鉄砲の繁栄を願って元和5年(1619)に建立したといわれています。

紀伊神谷

紀伊神谷

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。 駅の東側の丘を越えたあたりは“高野山に最も近い宿場”として栄え、歓楽峡の様相を呈していたと伝えられています。 神谷は日本最後の仇討があった地としても知られ、明治4年(1871)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。太政官布告による仇討禁止令が出される2年前の出来事でした。

泉ケ丘

泉ケ丘

昭和46年(1971)4月1日に開業したこの駅は、泉北ニュータウンの中心として、商業施設や学校等が集まっています。 泉北線内で最も乗降客数が多く、拠点駅としての役割を担っており、髙島屋泉北店が入居するパンジョや、大型児童館のビッグバンが駅周辺にあります。

岡田浦

岡田浦

吉見ノ里駅の開業1ヵ月後の大正4年(1915)11月に開業しました。 駅名の由来となった旧海岸「岡田浦」は、かつて四国方面への海上交通の要所であったといわれています。 現代は、大理石の人口渚「マーブルビーチ」が、りんくうタウンの海岸線に沿って広がっています。 漁業のまちで、昭和26年(1951)に第1種漁港の指定を受けた「岡田浦漁港」は、アナゴなどの魚介類が年間300t近く水揚げされており、最近では体験地引き網にも力を入れています。 駅から南東約500mの「里外神社」は“岡田の恵比須さん”とも呼ばれています。

帝塚山

帝塚山

昭和9年(1934)12月に開業しました。 この地域には古くから豪族が住んでいたといわれ、明治から大正時代にかけて大阪府屈指の高級住宅地として発展しました。 東へ進み、阪堺電車・上町線を越えたあたりにある「万代池公園」は市民の憩いと散策の場となっており、万代池は墳墓の周濠であったといわれています。 駅の西側にある「帝塚山古墳」は、5,6世紀頃にこの地を支配していた大伴金村の墳墓と伝えられ、茶臼山(天王寺区)、御勝山(生野区)とともに大阪市の三大前方後円墳と呼ばれています。

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