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南海沿線のまち

高師浜

高師浜

羽衣~伽羅橋間開通の翌年、大正8年(1919)10月に開業しました。 高級住宅地として開発された周辺の街並みにあわせて、ステンドグラスを配した西洋風デザインの駅舎が建てられました。 西へ徒歩すぐの「大阪府立臨海スポーツセンター(りんスポ)」には、年中滑走可能なアイススケート場など様々なスポーツ施設が完備されています。 北東に位置する「高石神社」の社殿は寛永12年(1635)に再建されました。

美加の台

美加の台

高野線複線化工事の一環として建設が進められ、昭和59年(1984)9月、大規模住宅地「南海美加の台」の玄関口として開業しました。 1階がプラットホーム、2階が駅務室およびコンコースとなり、屋上に駅の出入り口を設け、乗降客は屋上から出入りするというユニークな設計となっています。 駅東側一帯の丘陵地に当社が開発を進めた「南海美加の台」は同年9月に分譲開始。歴史・自然風土を考慮し、豊富な緑と十分な都市施設を備えた居住性の高い街づくりによって河内長野市内で高い評価を得ています。

三国ヶ丘

三国ヶ丘

昭和15年(1940)12月、南海鉄道と阪和電気鉄道が合併し、阪和電鉄は南海山手線(現・JR阪和線)となりました。その2年後、同線と高野線の連絡駅として当駅が開業しました。 駅の西側に位置する「仁徳陵古墳」は国内最大の前方後円墳。世墳丘の全長が約486メートル、前方部の幅が約305メートルあり、エジプト・クフ王のピラミッドと、中国・秦の始皇帝陵とともに世界三大陵墓と呼ばれています。 令和元年(2019)には「百舌鳥・古市古墳群」の一部として世界遺産にも登録されています。同古墳の南側には「大仙公園」が広がり、園内には平和の塔をはじめ、都市緑化センターや日本庭園、堺市博物館など様々な施設があります。

北野田

北野田

高野登山鉄道当時の大正3年(1914)8月に開業しました。 現在の橋上駅舎は昭和45年(1970)5月に完成しました。 駅を西へ進むと、昭和初期に高級住宅地として開発された「大美野住宅地」があり、ロータリーを中心に放射状に広がる街区が「堺市景観賞」(まち部門)に選ばれています。駅から約300メートル高野山方面の線路脇に「野田城址」の標柱が建てられており、かつてこの辺りに楠木正成の部将・野田正勝が築いた野田城があったことを示しています。 駅から約1.5キロ東に位置する「菅生神社」の境内には、菅原道真公が生誕したといわれる伝承地があります。

住吉東

住吉東

住吉大社の裏門にあたる高野線の最寄り駅として、高野鉄道当時の明治33年(1900)9月に開業しました。 駅構内は複々線となっており、高野線の円滑な運行を支えています。駅から難波方面へ進むと、天王寺駅前と浜寺駅前を結ぶ阪堺電気軌道上町線が線路上を交差しており、築堤上に神ノ木停車場があります。 住吉大社へは駅の西側を徒歩で約5分。境内に入ると、第1本宮の裏に樹齢千年以上の楠と「南珺社」があります。毎月はじめの辰の日が例祭日であることから「初辰さん」と呼ばれ、初辰の日には商売繁盛・家内安全・除災招福を祈願する人でにぎわいます。

中松江

中松江

明治45年(1912)6月、加太軽便鉄道の開設と同時に開業した中松江駅。 かつて海岸線が後退してできた細長い洲に松を植えて風や潮を防ぎ、洲と陸地の間が入り江になっていたところから「松江」の地名が付いたといわれています。 駅の北側約1.5kmに位置する「釜山古墳群」は、釜山古墳、茶臼山古墳、国内で唯一金の勾玉が発掘された車駕之古址古墳(しゃかのこしこふん)の3基が東西に並び、和歌山県の史跡に指定されています。 駅から南へすぐの「春日神社」は、かつて南東約100mにあり「南海神社」と称しましたが、津波にあったため現在地に遷座したといわれています。

大阪狭山市

大阪狭山市

大阪高野鉄道当時の大正6年(1917)7月に開業しました。 当初の駅名は地名(狭山町半田)から「河内半田駅」とつけられましたが、その後「狭山遊園前駅」に改称。 同園の最寄り駅として長年親しまれましたが、平成12年(2000)4月の閉園に伴い、市役所の最寄り駅であることや地域のご意見を参考にした結果、同年12月に駅名を「大阪狭山市駅」としました。 駅の西側に位置する狭山池は、古事記や日本書紀に登場するなど古くから風光明媚な池として親しまれ、現在も街のシンボルとなっています。

中百舌鳥

中百舌鳥

高野登山鉄道当時の大正元年(1912)10月に開業しました。 昭和12年(1937)4月に創業50周年記念事業として、駅の南側に「中モズ総合運動場」を建設。戦前・戦後のスポーツ界に大きな貢献をしましたが、時代の移り変わりとともに宅地などに姿を変えました。 昭和45年(1970)11月には従来の位置から北側に移設されて橋上駅舎となり、翌年4月の泉北高速鉄道開業(当時は中百舌鳥駅~泉ケ丘駅間)と同時に相互直通運転を開始しました。 駅の南西約1キロに位置する前方後円墳「ニサンザイ古墳(世界遺産)」は国内有数の大きさを誇ります。

九度山

九度山

南海鉄道が大阪高野鉄道と高野大師鉄道を同時に合併した2年後、大正13年(1924)12月に開業しました。 駅から徒歩約10分の「真田庵」(正式には善名称院)は、戦国武将の真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡として県の史跡に指定されており、毎年5月にこの辺一帯で「真田祭」が開催されます。「真田庵」からさらに徒歩約20分の「慈尊院(世界遺産)」は、弘法大師・空海の高野山開創に際して山麓の寺務所として建立されました。 慈尊院から「丹生官省符神社(世界遺産)」へ通じる石段の中間に町石があり、ここから高野山に至る約20キロの「町石道(世界遺産)」はかつて表参道として利用されました。

紀伊神谷

紀伊神谷

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。 駅の東側の丘を越えたあたりは“高野山に最も近い宿場”として栄え、歓楽峡の様相を呈していたと伝えられています。 神谷は日本最後の仇討があった地としても知られ、明治4年(1871)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。太政官布告による仇討禁止令が出される2年前の出来事でした。

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