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南海沿線のまち

吉見ノ里

吉見ノ里

大正4年(1915)10月、田尻町吉見に開業しました。地元の田尻漁港の名物行事、日曜朝市でにぎわいます。 ここは泉州タマネギ発祥の地で、明治18年(1885)に地元の今井佐治平、大門久三郎、道浦吉平らが横浜からタマネギの種子を取り寄せ、干ばつと水害に悩む農家に奨励したことから、町内の春日神社境内に「泉州珠葱栽培之祖」碑に功績をたたえた碑文が刻まれています。 戦後、昭和48年(1973)に廃止されるまで、紡績の原料・製品の貨物輸送や紡績工場従業員の荷物受け渡しなどが盛んに行われました。

中松江

中松江

明治45年(1912)6月、加太軽便鉄道の開設と同時に開業した中松江駅。 かつて海岸線が後退してできた細長い洲に松を植えて風や潮を防ぎ、洲と陸地の間が入り江になっていたところから「松江」の地名が付いたといわれています。 駅の北側約1.5kmに位置する「釜山古墳群」は、釜山古墳、茶臼山古墳、国内で唯一金の勾玉が発掘された車駕之古址古墳(しゃかのこしこふん)の3基が東西に並び、和歌山県の史跡に指定されています。 駅から南へすぐの「春日神社」は、かつて南東約100mにあり「南海神社」と称しましたが、津波にあったため現在地に遷座したといわれています。

紀伊神谷

紀伊神谷

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。 駅の東側の丘を越えたあたりは“高野山に最も近い宿場”として栄え、歓楽峡の様相を呈していたと伝えられています。 神谷は日本最後の仇討があった地としても知られ、明治4年(1871)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。太政官布告による仇討禁止令が出される2年前の出来事でした。

高石

高石

明治34年(1901)3月に開業しました。当時の駅名は信太森葛葉稲荷神社(和泉市葛の葉)にちなんで「くずの葉」と名付けられました。昭和16年(1941)8月に地名から「高石町」に、市制施行の翌月となる昭和41年(1966)12月に「高石」と改称しました。 昭和44年(1911)4月には駅の改造工事が完成し、南海線初の橋上駅舎として営業を開始。 かつては駅西側の海岸地帯を中心に住宅街が形成されていましたが、泉北臨海工業地の造成による住環境の変化とも相まって、駅東側への新たな人の流れを生むようになりました。 夜には工場の夜景を堪能できるまちとして密かな人気を集めています。

津守

津守

大正2年(1913)2月開業の津守駅。 駅名にもなっている地名「津守」は、元禄期に2人の町人が木津川の寄州を幕府から買い取って開発した耕地「津守新田」が由来とされ、駅から約800メートル南にある津守小学校の校庭には、新田内の行政事務や年貢の取り締まりなどを行なっていた「津守新田会所跡」の石碑があります。 同校西側にある「津守神社」は津守新田が開発された頃に創設され、当初は五所神社や五社大明神、後には稲荷神社と呼ばれましたが、明治4年(1871)に津守神社と改称しました。 駅から少し歩いた先にある木津川には、今も橋の代わりに渡船が行きかい、市民の足となっています。

住ノ江

住ノ江

南海鉄道の難波駅~浜寺公園駅間が電化された明治40年(1907)8月に開業しました。 当時、東成郡墨江村(現・住之江区西住之江)に直営の火力発電所「住の江発電所」が建設され、同駅の開業と同時に送電を開始し、大正7年(1918)まで稼動しました。 「住ノ江車庫」は大正10年(1921)2月に竣工。昭和52年(1977)4月に駅とともに高架化されました。 地元安立のまちには、かつて笠松と呼ばれる、かの歌川広重の絵にも描かれたほどの松があり、見物客でにぎわいました。住吉大社の参詣道として栄えた街道は、商店街に姿を変え、現在もにぎわいを見せています。

多奈川

多奈川

昭和19年(1944)5月、軍部の強い要請によって南海鉄道と関西急行鉄道が合併し「近畿日本鉄道」となりました。同時に、軍需工場の従業員や軍事関係者などの輸送を目的として多奈川支線が開通し、当駅が開業しました。 軍需工場は戦後に解体され、天然の良港としての条件を備えた海岸には関西電力多奈川火力発電所が建設されました。 「興善寺」「理智院」へは駅前からバスで約15分。興善寺の本尊・大日如来坐像は国の重要文化財に指定されており、理智院には秀吉の木像や秀頼幼少時の書「豊国大明神」など豊臣家ゆかりの品々が保存されています。

初芝

初芝

明治31年(1898)3月に「西村駅」として開業しました。 昭和9年(1934)、南海鉄道が住宅経営を企画し、その経営地として西村駅前の土地4万2千坪が決まりました。 新住宅地を大々的に売り出すためには、PRとイメージチェンジが必要であることから、新しい駅名を社内募集し「初芝」が選ばれました。 翌年、上下ホームを結ぶ地下道も新設され、住宅地の売り出しと同時に初芝駅として再スタートしました。

東松江

東松江

明治45年(1912)6月、加太軽便鉄道が開通。電化に伴って加太電気鉄道と改称した昭和5年(1930)12月に当駅が開業しました。 加太電気鉄道は昭和17年(1942)2月、南海鉄道に吸収合併され、新たに加太線として運行を開始しました。 昭和19年(1944)10月、当駅と紀ノ川駅の間がつながって貨物列車を運行。 東松江は製鉄業がさかんなまちで、当駅を経由して住友金属工業和歌山製鉄所の貨物専用線で同社の原料や製品などを運搬していましたが、昭和59年(1984)2月、旧国鉄の貨物ダイヤ大幅削減に伴って貨物営業を廃止しました。

千代田

千代田

昭和13年(1938)2月に開業しました。 昭和30年代以降に住宅開発が急速に進んだ河内長野市の中でも、当駅周辺は早くから宅地化が進みました。千代田車庫は昭和41年(1966)2月に竣工、千代田工場は昭和57年(1982)3月に操業開始しました。5万平方メートルの敷地内で車両の定期検査や改造工事などを行っています。 また、同工場は毎年秋に開催する「南海電車まつり」の会場にもなっています。 駅の南西に位置する「寺ヶ池公園」は、市内唯一の総合公園として市民に利用されています。

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