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南海沿線のまち

紀伊細川

紀伊細川

高野山電気鉄道当時の昭和3年(1928)6月、高野下~神谷(現・紀伊神谷)駅間の開通と同時に開業しました。難波方面の「入谷トンネル」と高野山方面の「細川トンネル」の間に位置します。駅から徒歩約7分の「八坂神社」は、弘仁年間(810~823)各地を修行中の弘法大師・空海がこの地に立ち寄られた際に、素盞嗚(すさのおの)命(みこと)を祀りました。駅から出合橋を渡って川沿いの谷道を上り、矢立を経由して高野山上を目指すルート(約9.9km・徒歩約3時間)は「高野山町石道」の短縮モデルコースとしてハイキングに利用されています。

紀見峠

紀見峠

岩湧山への登山口としてハイカーの利用が多い当駅は、大正4年(1915)3月に開業しました。 駅名の由来となった「紀見峠」は駅から約1.5キロ北に位置し、高野街道の重要な通過点として、江戸時代には宿場町として賑わいました。 上り線の紀見トンネル(1,561メートル)は、高野鉄道が明治33年(1900)に堀削開始した工事を高野登山鉄道が引き継ぎ、大正3年(1914)11月にようやく完成しました。 下り線の新紀見トンネル(1,853メートル)は、昭和47年(1972)に着手した河内長野~橋本間の複線化工事に伴って昭和48年(1973)5月に堀削を開始し、昭和51年(1976)4月に使用を開始しました。

住ノ江

住ノ江

南海鉄道の難波駅~浜寺公園駅間が電化された明治40年(1907)8月に開業しました。 当時、東成郡墨江村(現・住之江区西住之江)に直営の火力発電所「住の江発電所」が建設され、同駅の開業と同時に送電を開始し、大正7年(1918)まで稼動しました。 「住ノ江車庫」は大正10年(1921)2月に竣工。昭和52年(1977)4月に駅とともに高架化されました。 地元安立のまちには、かつて笠松と呼ばれる、かの歌川広重の絵にも描かれたほどの松があり、見物客でにぎわいました。住吉大社の参詣道として栄えた街道は、商店街に姿を変え、現在もにぎわいを見せています。

帝塚山

帝塚山

昭和9年(1934)12月に開業しました。 この地域には古くから豪族が住んでいたといわれ、明治から大正時代にかけて大阪府屈指の高級住宅地として発展しました。 東へ進み、阪堺電車・上町線を越えたあたりにある「万代池公園」は市民の憩いと散策の場となっており、万代池は墳墓の周濠であったといわれています。 駅の西側にある「帝塚山古墳」は、5,6世紀頃にこの地を支配していた大伴金村の墳墓と伝えられ、茶臼山(天王寺区)、御勝山(生野区)とともに大阪市の三大前方後円墳と呼ばれています。

尾崎

尾崎

南海鉄道が佐野(現:泉佐野)駅~尾崎駅間を開通した明治30年(1897)11月に開業しました。 当時の地名・尾崎村は、男里川の左岸に位置することから“男里の崎”であることに由来しています。 阪堺鉄道の線路改築工事を経て、同年12月から難波駅~尾崎駅間の直通運転を開始。昭和48年(1973)8月に橋上駅舎となりました。 寛永15年(1638)建立の本殿が国の重要文化財に指定されている「波太神社」秋祭りでは阪南市内各地区のやぐらが集まり、本殿前の階段を駆け上がる豪快な宮入りが見所となっています。駅前からぜひバスをご利用ください。

和泉中央

和泉中央

和泉市に位置する和泉中央駅は、平成7年(1995)4月1日開業。和泉市の中心市街地として発展しており、商業施設や公共施設、住宅などが集まっています。 和泉中央駅は、「鉄道の日」記念行事の一つとして実施された「第3回近畿の駅百選」にも認定されました。

天見

天見

三日市町~橋本間が開通した大正4年(1915)3月に開業しました。 駅の西側には河内長野市内最古の温泉と言われる天見温泉がわき、古くから温泉郷として栄えています。 この地は「南天の里」と呼ばれるほど南天の多いところであり、家の周りや石垣、畑などで数多く栽培されています。花の時期は6月から7月で、12月頃になると真っ赤な実をつけ、正月用切花や薬用として用いられます。

鶴原

鶴原

大正5年(1916)5月に開業しました。海が近く、かつて漁業が盛んなまちでした。 構内には昭和29年(1954)に殉職した駅掌を弔うために建立された地蔵菩薩があります。 駅から南西約300mにある「加支多神社」はかつて市杵島神社と呼ばれ、市杵島姫命を祭っていました。楠氏の臣・勝間某が敗戦の際、祭神を背負って当時の豪家・新川氏に奉祀を依頼したことが由来とされています。 ここからさらに南東の貝田交差点付近には、平安末期から鎌倉時代にかけて熊野古道沿いに創建された九十九王子の1つ「貝田王子」(別称・鶴原王子)があったといわれています。

下古沢

下古沢

大正14年(1925)3月、高野下から高野山にいたる鉄道敷設を目指して高野山電気鉄道が設立され、昭和3年(1928)6月、高野下~神谷(現・紀伊神谷)間の開通と同時に開業しました。 駅名は当時の地名である下古沢村からつけられました。 この辺りは古くから手漉き和紙「高野紙(古沢紙)」の産地として約100軒の家々が紙漉きを行っていましたが、現在はわずか1軒のみとなり、九度山町では勝利寺(最寄りは九度山駅)の境内に紙の資料館と体験室を兼ねた「紙遊苑」を開設し、先祖の伝えたこの伝統文化を後世に伝承しています。

極楽橋

極楽橋

大正14年(1925)に始まった高野下駅~極楽橋駅間約10.3キロの線路延長工事は、山岳地帯のため難工事となり、昭和4年(1929)2月にようやく当駅が開業しました(ケーブルカーの開通は翌年6月)。 電車のホームとケーブルカー乗り場を結ぶ構内通路は、直下を流れる「不動谷川」に架かる橋の役割も果たしています。 駅から川沿いを下っていくと駅名の由来となった「極楽橋」があります。 昭和29年(1954)に架け替えられたこの橋を渡って「不動坂」を登り、高野山上の「女人堂」に出ることで、昔の高野詣りの風情を楽しむ方も多くいらっしゃいます。

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