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南海沿線のまち

岡田浦

岡田浦

吉見ノ里駅の開業1ヵ月後の大正4年(1915)11月に開業しました。 駅名の由来となった旧海岸「岡田浦」は、かつて四国方面への海上交通の要所であったといわれています。 現代は、大理石の人口渚「マーブルビーチ」が、りんくうタウンの海岸線に沿って広がっています。 漁業のまちで、昭和26年(1951)に第1種漁港の指定を受けた「岡田浦漁港」は、アナゴなどの魚介類が年間300t近く水揚げされており、最近では体験地引き網にも力を入れています。 駅から南東約500mの「里外神社」は“岡田の恵比須さん”とも呼ばれています。

堺東

堺東

駅の西側正面に商店街、斜め向かいに市役所や裁判所など官庁街が隣接する堺市の東の玄関口です。 高野鉄道当時の明治31年(1898)1月に開業し、駅舎の1~2階部分を含む南海堺東ビルは昭和39年(1964)10月に竣工しました。 駅前にはバスターミナルが整備され、現在も同市の交通の要としての役割を担っています。

りんくうタウン

りんくうタウン

平成6年(1994)6月、空港線の営業開始と同時に開業しました。同年9月に関西国際空港が開港。 駅直結の「りんくうゲートタワービル」は、8年(1996)8月竣工。地上56階建て・高さ256mで、西日本トップクラスの高さを誇ります。 大阪府営公園「りんくう公園」は駅の北西約300m。園内には、木製の太鼓橋や噴水「四季の泉」があり、北側のロックガーデン「花海道」では四季折々の花を楽しめます。気軽に海に親しめるように設けられた「内海」は、潮の干満によって風景が変化します。

大阪狭山市

大阪狭山市

大阪高野鉄道当時の大正6年(1917)7月に開業しました。 当初の駅名は地名(狭山町半田)から「河内半田駅」とつけられましたが、その後「狭山遊園前駅」に改称。 同園の最寄り駅として長年親しまれましたが、平成12年(2000)4月の閉園に伴い、市役所の最寄り駅であることや地域のご意見を参考にした結果、同年12月に駅名を「大阪狭山市駅」としました。 駅の西側に位置する狭山池は、古事記や日本書紀に登場するなど古くから風光明媚な池として親しまれ、現在も街のシンボルとなっています。

二色浜

二色浜

昭和8年(1933)、南海鉄道は“第二の浜寺”をめざして二色の浜海岸に「海浜村」を開設しました。 200人収容の「汀の家」を建て、宿泊施設のある海水浴場として人気を呼びました。 その最寄り駅として昭和11年(1936)6月、夏期だけ営業の臨時駅を開設。2年後の昭和13年(1938)9月に常設駅となりました。駅名の「二色」は“白砂青松”の浜辺を表したもの。 駅から二色の浜海水浴場へ行く途中、左手にある「八品神社」は、平安時代に製造が開始されたといわれる貝塚の特産品・近木櫛(和泉櫛)の櫛工たちが、守り神として創建したものといわれています。

石津川

石津川

大正8年(1919)6月に開業しました。 駅名の由来となった二級河川「石津川」周辺一帯は、かつて木綿を川の水にさらしている風景が見られた綿の産地で、昭和初期まで「石津のさらし」として全国でも有名でした。 駅から徒歩約5分の「石津(いわつ)太(た)神社」は、毎年12月14日に行われる火祭「やっさいほっさい」で有名。えびす神に扮した年男を担いで“ヤッサイ、ホッサイ"の掛け声とともに火の中を勇壮に渡ります。北本殿や南本殿、拝殿、一の鳥居、二の鳥居が平成9年(1997)12月に堺市指定有形文化財に指定されています。

光明池

光明池

昭和52年(1977)8月20日に開業したこの駅は、泉北ニュータウンの南端に位置しています。 駅周辺には、商業施設や医療機関などが集まっており、光明池運転免許試験場への最寄り駅としても知られています。 駅名の由来となっている「光明池」は、関西でも屈指の貯水量を誇るため池。緑豊かな景観が素晴らしく、光明池緑地として「大阪緑の百選」にも選ばれています。

鳥取ノ荘

鳥取ノ荘

大正8年(1919)3月、当時の西鳥取村(現・阪南市鳥取)に開業しました。 海に近く、大阪湾では数少ない海苔の養殖が行われていたりします。 定かではありませんが、このあたり一帯がかつて観心寺領の荘園「鳥取荘」であったことから名付けられたといわれています。 駅から北東へ徒歩すぐの「法福寺」は、別名“お菊寺"と呼ばれ、豊臣秀次と小督局の子と伝えられるお菊の木像が安置されています。

美加の台

美加の台

高野線複線化工事の一環として建設が進められ、昭和59年(1984)9月、大規模住宅地「南海美加の台」の玄関口として開業しました。 1階がプラットホーム、2階が駅務室およびコンコースとなり、屋上に駅の出入り口を設け、乗降客は屋上から出入りするというユニークな設計となっています。 駅東側一帯の丘陵地に当社が開発を進めた「南海美加の台」は同年9月に分譲開始。歴史・自然風土を考慮し、豊富な緑と十分な都市施設を備えた居住性の高い街づくりによって河内長野市内で高い評価を得ています。

忠岡

忠岡

大正14年(1925)7月に開業しました。駅名は地名から。 源平の時代に源氏方の今井五郎兼滋がこの地へ攻めてきた際、忠度の子・忠行が父を紀州方面へ逃し、今井勢をくい止め戦死しました。哀れんだ村人たちが手厚く葬り、丘を築いて「忠行の丘」と呼んだのが地名の由来といわれています。 駅から徒歩約5分の「永福寺」には、境内にビャクシン(ヒノキの仲間)があり、大阪府の天然記念物に指定されています。 東洋美術品を公開している「正木美術館」へは徒歩約15分。収蔵品は国宝3点、重要文化財12点を含め約1,200点を数え、東洋古美術の多彩な分野に及びます。

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