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下古沢

下古沢

大正14年(1925)3月、高野下から高野山にいたる鉄道敷設を目指して高野山電気鉄道が設立され、昭和3年(1928)6月、高野下~神谷(現・紀伊神谷)間の開通と同時に開業しました。 駅名は当時の地名である下古沢村からつけられました。 この辺りは古くから手漉き和紙「高野紙(古沢紙)」の産地として約100軒の家々が紙漉きを行っていましたが、現在はわずか1軒のみとなり、九度山町では勝利寺(最寄りは九度山駅)の境内に紙の資料館と体験室を兼ねた「紙遊苑」を開設し、先祖の伝えたこの伝統文化を後世に伝承しています。

多奈川

多奈川

昭和19年(1944)5月、軍部の強い要請によって南海鉄道と関西急行鉄道が合併し「近畿日本鉄道」となりました。同時に、軍需工場の従業員や軍事関係者などの輸送を目的として多奈川支線が開通し、当駅が開業しました。 軍需工場は戦後に解体され、天然の良港としての条件を備えた海岸には関西電力多奈川火力発電所が建設されました。 「興善寺」「理智院」へは駅前からバスで約15分。興善寺の本尊・大日如来坐像は国の重要文化財に指定されており、理智院には秀吉の木像や秀頼幼少時の書「豊国大明神」など豊臣家ゆかりの品々が保存されています。

堺東

堺東

駅の西側正面に商店街、斜め向かいに市役所や裁判所など官庁街が隣接する堺市の東の玄関口です。 高野鉄道当時の明治31年(1898)1月に開業し、駅舎の1~2階部分を含む南海堺東ビルは昭和39年(1964)10月に竣工しました。 駅前にはバスターミナルが整備され、現在も同市の交通の要としての役割を担っています。

滝谷

滝谷

高野鉄道の狭山駅~長野駅間が開通した明治31年(1898)3月、東へ約3キロの位置にある「瀧谷不動明王寺」への参詣駅として開業しました。 明治35年(1902)3月に河南鉄道の滝谷不動駅(現・近鉄長野線)が開業するまで最寄り駅として利用されました。 眼病平癒で有名な瀧谷不動は、弘仁12年(821)弘法大師開創と伝えられ、毎月28日の縁日には大勢の参詣客でにぎわいます。 駅から東へ徒歩約20分の「錦織公園」は、野山や池などをそのまま生かした自然公園で、野鳥や草花の観察に適しています。 当社線で唯一の富田林市内にある駅です。

紀見峠

紀見峠

岩湧山への登山口としてハイカーの利用が多い当駅は、大正4年(1915)3月に開業しました。 駅名の由来となった「紀見峠」は駅から約1.5キロ北に位置し、高野街道の重要な通過点として、江戸時代には宿場町として賑わいました。 上り線の紀見トンネル(1,561メートル)は、高野鉄道が明治33年(1900)に堀削開始した工事を高野登山鉄道が引き継ぎ、大正3年(1914)11月にようやく完成しました。 下り線の新紀見トンネル(1,853メートル)は、昭和47年(1972)に着手した河内長野~橋本間の複線化工事に伴って昭和48年(1973)5月に堀削を開始し、昭和51年(1976)4月に使用を開始しました。

紀伊清水

紀伊清水

南海鉄道が大阪高野鉄道と高野大師鉄道を合併した約3年後の大正14年(1925)3月に開業しました。 駅北側の「清水の街並み」は、平成9年(1997)に和歌山県ふるさと建築景観賞を受賞。重厚な瓦屋根や格子を持つ家屋が高野街道に沿って東西に軒を連ねており、高野山領最初の宿場町としての面影を今も残しています。 また、紀州へら竿の産地としても知られています。 駅から約500メートル東にある「三軒茶屋の大常夜燈籠」は、江戸時代に東家(紀州藩領)と三軒茶屋(高野山領)を結ぶ渡し場の位置を示すものとして、宝暦2年(1752)に造られました。

泉大津

泉大津

堺駅~佐野(現・泉佐野)駅間が開通した明治30年(1897)10月に「大津」として開業。 昭和17年(1942)4月の市制施行に伴って「泉大津」と改称しました。 駅の東側にあるショッピングセンター「いずみおおつCITY」は平成6年(1994)9月、複合都市施設「アルザ泉大津」内に開業。ファッション、雑貨、飲食などの専門店が入店しています。 さらに東へ進むと「織編館」があります。泉大津は国産毛布の90%以上が生産される日本一の毛布のまち。毛布の歴史や技術を紹介するとともに、世界の織物や民俗衣装なども展示しています。

湊

湊

南海鉄道当時の明治40年(1907)10月に開業しました。 所在地である出島町が、古くから「湊村」と呼ばれていたことが駅名の由来といわれています。江戸時代には「湊紙」と「壺塩」の産地で知られました。 駅の付近には、かつて田畑に利用していた井戸から水をくみ上げるための風車が林立していました。都心に近いこともあり、昭和30年代から住宅地が増え始め、現在では見られなくなってしまいました。

和泉大宮

和泉大宮

昭和12年(1937)4月に開業しました。「和泉大宮」の駅名は、北東約600mに位置する「兵主(ひょうず)神社」が「大宮」と呼ばれることに由来しています。 兵主神社は、桃山時代に建設された三間社・流造・桧皮葺の本殿が国の重要文化財に指定されており、社宝として伝えられている室町から江戸前期の能面9面は、雨乞いの際に演じられた能に用いられたため「雨降りの面」と呼ばれています。 駅の北西約1.2kmに位置する「岸和田漁港」は、昭和41年(1966)に完成したもの。あぐり網(イワシきんちゃく網)漁業を中心に、大阪府下でトップクラスの水揚量を誇ります。

北野田

北野田

高野登山鉄道当時の大正3年(1914)8月に開業しました。 現在の橋上駅舎は昭和45年(1970)5月に完成しました。 駅を西へ進むと、昭和初期に高級住宅地として開発された「大美野住宅地」があり、ロータリーを中心に放射状に広がる街区が「堺市景観賞」(まち部門)に選ばれています。駅から約300メートル高野山方面の線路脇に「野田城址」の標柱が建てられており、かつてこの辺りに楠木正成の部将・野田正勝が築いた野田城があったことを示しています。 駅から約1.5キロ東に位置する「菅生神社」の境内には、菅原道真公が生誕したといわれる伝承地があります。

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