鉄道博物館 過去の車両

昭和中期

高野線のクイーン

クハ1900号

 「こうや号」という名の座席指定特急が高野線に登場したのは昭和27年7月19日のことです。
この時、高野山方先頭車として使用されたのがクハ1900号。この車両は昭和13年7月に「貴賓車」として誕生。流線形の前頭部には曲面ガラスがはめこまれ、車室前半分の豪華なソファーが置かれた展望室とともに、高野線のクィーンとして活躍し、その後一般車に改造されました。

優等車にヘンシーン

こうや号

 昭和27年に元貴賓車1900号を使って運転を始めた「こうや号」は、翌28年4月から3両編成となりました。パートナーとなったのは、1251号、1252号で、両車とも昭和13年製。高野山の登山電車として活躍してきた車両です。特急専用車となってからはオールクロスシートとなり、クリームとダークグリーンのツートンカラーがひときわ目立つ「優等車」になりました。

ディーゼル準急南へ

5501型

 <南海>では電鉄には珍しくディーゼルカーも使用しています。昭和34年、紀勢本線全通のとき、難波、天王寺から南紀直通ディーゼル準急「きのくに号」が開設され、南海でも乗り入れ用にディーゼルカー、キハ5501型、5551型を新調しました。塗色は当時の国鉄準急色のクリーム色に赤帯でしたが、後に国鉄急行色に変わりました。また当時21.3メートルの車両全長は南海で一番です。

座ったままで山登り

ケーブルカー

 高野山ケーブルは昭和5年、高野山電鉄の建設によるもので延長0.8キロ、高低差約330メートル、最高こう配が566.2パーミルあります。写真は初代のケーブルカー。昭和28年に2代目が登場した。その後昭和39年末、高野山開創1150年祭の輸送をまかなうため、大型車に切替えられました。3代目の車両は2両連結で、最大乗車人員数が261名、巻上機も出力400キロワットが2台と、当時わが国最大のものでした。