電車に乗る
沿線へでかける
沿線でくらす
企業・IR情報
ホーム > 電車にのる > 鉄道博物館 > 鉄道博物館 > 車両の歴史 - 鉄道博物館

車両の歴史 - 鉄道博物館

南海電鉄の歴史 車両の歴史 現在の車両 ラピートのすべて フォトコレクション
明治・大正 昭和初期 昭和中期
難波村から汽車が出た
 明治18年12月27日、難波村の一角から小さな機関車が、マッチ箱のような客車を引いて走り出しました。
<南海>の前身、阪堺鉄道(難波-大和川北岸間)の開通です。開業に際して阪堺鉄道は2形式4両の蒸気機関車を購入しました。写真のものは和歌号、芳野号と名づけられたグループで、製造所はイギリスのシャープスチュアート社。1878年製でゲージ(線路の幅)は838ミリでした。
 和歌号
和歌号
一号機はアメリカ製
 明治30年、堺-佐野(現泉佐野)間の営業を開始した南海鉄道の第1号蒸気機関車です。開業時に同型式3両をそろえました。製造所はアメリカのピッツバーグ社です。明治36年3月21日、南海鉄道は難波-和歌山市間を全通、明治44年11月21日の全線電化とともにこの機関車は貨物列車専用になりました。そして昭和2年5月、蒸気機関車は使用廃止となり、南海から煙が消えました。
 第一号機関車
第一号機関車
南海の電車ことはじめ
 蒸気機関車運転を行っていた<南海>に、初めて電車が走ったのは明治40年8月11日です。区間は難波-浜寺公園間で、車両数は11両、平成8年3月現在の車両数が718両ですから本当にささやかな「電車ことはじめ」だったわけです。
この時、電車の第一番手として登場したのが写真の電車で、「電1形」と呼ばれるグループです。当初は集電用にポールが使用され、連結器も非自動でした。
 電1形
電1形
大正時代の代表車
 明治40年、難波-浜寺公園間に始まった電車運転はその後区間を延ばし、明治44年11月21日には難波-和歌山市間全線電化が完成しました。明治42年、前面がタマゴ型に丸味を帯びた5枚窓、という電車12両が登場しました。「電2形」と呼ばれるグループで、このスタイルは大正期南海電車の標準タイプとして、「丸電」の愛称で親しまれ、主に難波-和歌山市間の直通電車に使用されました。
 電2形
電2形
電車でお茶を
 大正13年、<南海>は新式貫通車両40両を新造、難波-和歌山市間を1時間30分で結ぶ4両編成の急行電車運転を始めました。新造車両の特徴は「貫通」の名の通り先頭車から最後部車両まで、車内の通り抜けができること、和歌山方先頭車に「ブッフェ(喫茶室)」を設けたことなどです。
またこれら急行電車は浪速号・和歌号・住吉号・濱寺号・大濱号・淡輪号と名づけられました。
 浪速号
浪速号
老兵は死なず
 大正13年、喫茶室付急行列車としてさっそうと登場した「浪速号」のグループ40両は、昭和4年に大型鋼製車モハ301系(後にモハ2001系)が入線するまで、特急、急行用として活躍しました。その後一般車に改造され、モハ1001系となったこのグループは、終戦時24両となり加太線で主に使用されましたが、室内の木工や窓まわりなどに往年のおもかげを残していました。
 モハ1001系
明治・大正 昭和初期 昭和中期