南海電鉄創業140周年を記念し募集した、
「未来につたえたい!南海電鉄との思い出」。
素敵なエピソードをたくさんお寄せいただきまして、
誠にありがとうございました。
ご応募いただいた中から選ばれた、
優秀作品をご紹介いたします。
2025年12月中旬から2026年1月上旬の期間限定で、
駅や電車内でもご覧いただけます。
今の嫁さんと付き合っている時、
デートの待ち合わせは、難波のロケット広場前でした。
1時間待っても来ない時は、伝言板に
「1時間待ち何時帰る(名前)」書いたのを思い出します(笑)
結婚して28年。2人の子供にも恵まれ懐かしい思い出です。
Love is a power
生まれ育った町、玉出。
私は毎日のように、会社勤めの父を迎えに駅まで出向き、駅員さんとも親しくなりました。
やがて通学の足となり、毎朝の「おはようございます。」
ホークス最後の大阪球場での試合の日、「おっちゃん(駅員さん)の分まで応援してきてな」
玉出から引っ越すことになった日、「元気でな。またな」
高架化され岸里玉出駅となった今も玉出を訪れると、その時の思い出がよみがえります。
やっぱり緑がいい
南海電車を好きになったキッカケはラピートでした。
みさき公園にあった南海20000系のこうや号と3歳ぐらいの時に撮った写真が今もあり、
自分が結婚し子供が出来て、いろんな困難や山を乗り越えれるように、こうやと名付けました。
妹が出来て、友達やいろんな人を助け、繋がる意味で、りんかと名付けました。
自分達の子供にこうや、りんかんの名前を頂き、今では家族揃って南海電鉄さんが大好きです。
ラピートファン
大学時代、南海電車で4年間通学していました。
その中で「鳥取ノ荘~淡輪」間の車窓に映る海の景色がとても大好きでした。
ゆっくり眺めたくて’あえて’サザンではなく普通車に乗り通学。
卒業まで毎日綺麗な海に心奪われ、毎日のように海の写真を撮り続けていました(笑)。
そんな尊い思い出も南海に就職する決め手となりました。
ずっと大好きな景色、南海電車と共に大切にしていきたいです。
インスタント谷口
発達障害のある孫が、小6の時に初めて一人で電車に乗る経験をしました。
春木から羽衣まで各停で行き、分からないように主人と違う車両に乗り見守りました。
羽衣までの駅の名前を書いたメモを不安気に見ている孫に気づいた車掌さんが、声を掛けてくださったそうです。
また、羽衣に着いた時に「降りる駅だよ」と教えてくださり、優しい言葉をかけてくれたそうです。
臨機応変な対応で初めての経験が良いものになりました。
よんよん
70年万博の頃、4年間住ノ江駅から浜寺水練学校に通った。
小学校3年生で初めて持った定期券。
嬉しくて、改札駅員さんにどういう風に見せようかと家で色々試した。
浜寺から住ノ江までは普通列車で乗り換えずに帰れるけど、
夏には急行が止まった浜寺駅からあえて急行、
しかも車体の上に出っ張りのある冷房車が来るまで待って堺駅で乗り換えた。
水泳後に浜寺駅前で買った爆弾アイス、コロッケの味と共に懐かしい想い出。
サザンカ九
南海電鉄の駅員さんが、私がキーホルダーを落とした際、
走って追いかけて下さったことがあります。
その際に「落とし物ー!」ではなく「大事なもの落とされてますー!」と仰られたのが印象的で。
「大事なもの」って素敵な響きですね。
なんかいい、ではなく、なんかいがいい!
「午後4時市駅発の四国号に乗れ!難波の改札で待ってる」と父から電話が入る。
小学生だった私は、父に買ってもらった緑の帽子にメガホンを持ち
ワクワクしながら緑の電車に乗る。
南海ホークスファンだった父と、大阪球場で緑のユニホームに熱い声援を送る。
何故好きになったかは分からないが、いつの間にか欠かせないものになっていた
南海電車とホークス。
50年経ち今は息子と孫でホークスを観に大阪に向かう。南海電車で。
南海四国号